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教師の仕事は数年後に報われる?いや今報われてーよ

こんなエントリーが目にとまった。

わかる。わかりすぎる。ここまでの教育困難校に赴任したことはないが、学校名を出すと「あ、大変だろうけどがんばって」と言われるレベルは経験済み。

 

それに対して、

 

 

これもわかる。わかるというか、先輩教員にめっちゃ言われること。「いつか報われる」「何十年後か先にきっと思い出してくれるときがくる」。

 

いや、今報われてーわ。

 

長く教員を続けられるパターンは2つあって、①後者の増田のように辛いことがあっても道を切り開いて、やんちゃだった子が数年後「先生、あんときは迷惑かけちまったな」の一言でHP全回復させられるパターン、②早い段階で無能レッテルを貼られて、比較的おだやかな学校で楽な学級ばかり持たせられるパターン(理想形)。

 

教員には圧倒的に①な人が多い。勉強会とかいくと50代教員の「数年後報われたエピソード披露会」になる。それをまた聞きしてHPを回復させている奴の多いこと。幸せだねと思ってみている。

 

そんな何年も先にあるかどうかの報いよりも、教科書開こうって言ったら開いて、給食食べようって言ったら食べて、静かに電車に乗るんだよって言ったら静かに電車に乗って、1年の終わりに「何がってことはないけど、楽しい1年だったね」ってほっこり振り返られる、そんなことが毎年繰り返される方がよっぽどいい。成人式のときに「あれ、担任の名前何だっけな」と忘れられてもいい。

 

後者の増田がいうように、学校で問題起こす子供は、家庭でもひどい扱いを受けていることが多い。てかほとんど家庭の問題。困った子を見て「本当に困っているのはこの子自身なんだ」ってかわいそうに思うことはあっても、ババア、ブス、死ねと罵られる日々を過ごせるかといえば話は別。人間だからそれは嫌。

 

教師という仕事は、そうやって日々削られたHPを数年ぶりに出会ったときの一言で回復させられる人だけやればいい。100削られて20しか回復できない人や、そもそも数年後のそのタイミングまでHPが持たない人は、さっさと自己犠牲精神に溢れた人に席を空ければいい。

 

「あなたを見ている子が必ずいる」「生徒にあるべき大人像を見せる」というのは、わからない話じゃないんだけど、自分の命を削って私が見せることなのかよって思う。

 

もうそう思っちゃった時点で終わりだけどね。自分の人生を犠牲にして、変わるかどうかもわからない他人の人生を支えられる人がやればいいと思うよ、この仕事は。