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道徳が教科化するってどういうこと?に現場の教師目線でお答えします

中央教育審議会(中教審)が「道徳は教科にした方がいいと思うよ」という答申を出し、ニュースになっているね。「道徳の教科化」は以前からちょいちょい言われていて、職員室の中では時々話題にのぼっているよ。

今日はその「道徳が教科になる」というのはどういうことが、簡単に説明しよう。

 

まず、中央教育審議会というのは、教育のことをものすごくよく知っていて、考えている人達の集まりで、よく答申という形で意見をまとめる。ブレーンが集まっている分、答申にはすごく影響力があるけど、現場から見ると見当違いなことを言っていることが多く、「また変なこと言ってるよ」的な目で見られているよ。ちなみに教職を目指す者は、この中教審の過去の答申を一生懸命勉強するね。もちろん現場で働く上で必要のない知識だよ。

 

教科化の話に戻ると、時間割の中には「教科」と「教科外」というものがあるんだ。児童生徒はその2つを意識することはないから、こんな2つがあるなんて知らない人が多い。

見分ける方法は簡単。「通信簿(通知表・成績表)で評価されるかされないか」と「教科書があるかどうか」。

後者の「教科書があるかないか」は見分けがつきにくいね。道徳だって教科書的なものを使ったことがある人がほとんどだと思う。でもあれは教科書じゃない。義務教育だと教科書は無償だけど、だいたいの道徳の本は有料。市町村教育委員会などがお金を払っていることが多いよ。

4月の始まりに合わせていくつか道徳の本の見本が届き、それをだいたい道徳担当(道徳主任)が選んで注文っていう感じ。「去年と同じの注文しまーす」ってパターンがほとんどだね。

 

で、たぶんみなさんそうだと思うんだけど、道徳って正式に評価されたことはないはず。それも教科外たるゆえん。評価しなくていいんだね。

でも「年間35時間しなさい」とか「国が作った書籍(旧心のノート)を使いなさい」としばりはきついほう。それが道徳。

 

それで今回、道徳を正式に教科化しょうぜと言っているのは「通知表(親向けの成績)や指導要録(学校に保管する真の成績)で評価しましょう」「国の検査を合格した教科書を使いましょう」って言ってるわけ。

 

 

では現場の意見はどうか。それはもちろん「反対多数」。いちばんの理由は「去年と同じがいい」から。それから、評価が難しい。

評価しようとすれば、それなりに評価の根拠となるものが必要になるよね。国語や算数だとテスト、体育なんかでは跳び箱何段跳べたとか、50m走何秒とか。

でも、道徳でそれをしようとするととても難しいよ。仮に「こんなときどうする?」問題を用意しても「お年寄りに席をゆずる」とか「友達と仲良くする」って答えればいい。それが模範解答って小学生でも知ってる。だから評価が難しい。

教科書ができる云々は別に今でもそれらいきものを使っているのでどっちでもいい。でも教科化によって成績表にあらたな項目が生まれ、さらに仕事が増えるというなら勘弁してほしいというのが本音(成績はかなり大変な作業なのだよ)。

各県とも全国学力テストの順位を上げることに必死になのにこういうのを持ち込まれるとほんと迷惑、というのが大多数。

 

 

教科化によって、1人でも多くこころのきれいな人間が生まれることを祈っております。